子育てが上手い人、ってひと口に言い切るのは難しいですよね。
こんな知識がある。スキルを持っている。資格を取得して認められている。
たしかに、どれも子育ての専門性を感じさせます。
ただ、ぼくはそれらの『根っこは何か?』
ということを考えると、
『自然なものを美しいと思える人』
だと思っています。
人間という生き物の手によって作り出されたテクノロジーや加工物ばかりに触れていては、子供を理解できません。
子育てが上手い人は『ありのまま』を受け入れられる人
まず始めに、下の画像を見てください。
宝石が散らばった画像ですね。
あなたはこれらの宝石を見て、どう感じるでしょうか?
- 輝いてる
- 形がキレイ
- 人の手で丁寧に仕上げられてる
いくつか、浮かぶと思います。
では、続いて下の画像を見てください。
こちらは、加工される前の宝石の原石です。
これを見て、どう感じましたか?
形はいびつです。デコボコしてます。
輝いているとは言えませんね。
でも、紫色が美しく、透き通った透明感は感じられませんか?
人の手が入っていないモノを美しく感じられるなら、その人は『子育てが上手い人』だとぼくは思います。
加工するということは、言い方を変えれば人の手で本来の姿を歪めているということです。
もし、チラッと見ただけで一枚目の加工した宝石をキレイと感じ、
二枚目の原石を『汚らしい』と感じるなら、ぼくはその人は子供に近づいてほしくありません。
その人はおそらく、加工されたものにばかり愛情を注ぐ人だからです。
ありのままのモノに価値を見出せない人だと思うからです。
子供は、社会の常識やルールといった『人が作ったモノ』にまだ染まっていません。
自然なまま、感情や個性のまま生きています。
そんな子のあり方を愛せる人。
それが、子育てが上手い人だとは思いませんか?
子供の目線で考えられるか?
子供は、ママが望むようには動いてくれません。
時にはイライラすると思いますし、何でわかってくれないの? と感じもするでしょう。
ですが、それが自然なんです。ありのままの子供の姿なんです。
子供はママが大好き。でも、それ以上に自分の好きなように生きたいんです。
色んなことに興味がいっぱい。
あっちへ行き、こっちを触り、色んなものに触れてみたいんです。
それを、ママとパパは受け入れてあげなければいけません。
いえ、ママとパパだけじゃない。
ぼくたち、社会に生きる大人は全員そうです。
自分たちが小さい頃は周囲の人たちに見守られてきたのだから、
今度は次の世代にそれをしてあげなければいけません。
『子供だって常識を学ぶべきだ』
余裕が無い人や、人工的なものにばかり触れてきた人はそう考えてしまう。
でも、常識やルールだって、都合の良いように作られた『不自然なもの』かも知れません。
いつかはそれに染まらなければいけないかも知れない。
でも、それは思春期を迎える頃からでも良いと思います。
『あんないい子が、どうしてこんな犯罪を…』
こんな声をニュースで聞きますが、
もしかしたら幼い頃から『不自然なルール』を押し付けられて、不自然な心のまま育ったからなのかも知れませんよ?
教える前に怒鳴る理不尽をはたらくな
20代の頃、コンビニでアルバイトをしていた時に、小さい子が商品を外に持っていっちゃったことがありました。
普通なら『ダメだよ〜』と教えて、返してもらえばいいことです。
ところが、その子の父親は顔を真っ赤にして、その子を怒鳴りつけ始めたのです。
『お前、いま何した!?』
『なに盗もうとしてんだ!?』
そんなに怒鳴らなくても…と、ぼくも店長も他のお客様も微妙な面持ちで見ていると、その子の父親は最後にこう言いました。
『恥かかせんな!!』
これを聞いたぼくは、ブチッときました。
子供に教えるんじゃなくて、自分が恥をかかされたことに、ただ怒ってるだけ…?
その子は泣きそうな顔で、じっとパパの怒りがおさまるのを待っているようでした。
どう見ても、勝手に持っていくということがいけないことだということを『教えられたことがない』様子でした。
その子の父親は、ぼくと店長の方に向き直り『すんませんでした』と謝罪してきたのですが、
『この子はこれまでにも、こういうことしたことあるんですか?』
と、ぼくは尋ねました。
その父親によると、一度も無かったというのです。
『何回もやってるならいいですが、
いま初めてやっちゃったのなら、今のあなたの怒り方はおかしくないですか?』
相手は『え?』というような顔をしましたし、店長もぼくを止めようとしましたが、ぼくは続けました。
『この子は、この商品が欲しいから持っていっちゃったんでしょう?
それを、ダメだよとまず教えてからじゃないですか?
その後も何回もやるんなら、あなたみたいに怒鳴ってもいいですけど。
教えたことないなら、良いことか悪いことかも、この子は分かんないんでしょ?』
自分でも変なスイッチが入ってるのは分かっていましたが、止まりませんでした。
子供のためにではなく、自分の世間体のために怒鳴ってる父親の姿が、無性に腹が立ったのです。
結局、その父親は納得しないような顔で帰っていきました。
あの子が家で怒鳴り散らされないか…それだけが心配でした。
今も時々思い出して、あの後あの子はまた父親に『恥をかかされた』と怒鳴られたのだろうか、
ぼくは余計なことを言ったのかな…と考えてしまいますが…。
この時からでしょうか。
『子供の無邪気さを怒鳴り散らす、この世はなんて下らないんだろう』
今もこの気持ちは変わっていません。
世の中はルールと常識をみんなが守り、一見うまく回っています。
ただ、見方を変えれば自然に生きることが『悪』とされているようにも思えます。
おそらく、正解なんてものは無いのかも知れませんが。
まだ教わってもいない子供に、押し付けている不自然さ
これだけは、ぼくは自分の子供にはやらないと決めています。
迫ってくる『不自然の押し付け』から子供を守るのが親の役目
子供は感情のまま、ルールを知らずに生きています。
その気持ちを肯定してあげながら、少しずつ教えていくのが自然なこと。
ルールを守ればいい。お前の気持ちなんて知ったことじゃない。
これがどれだけ不自然なことか、子供の心を歪ませるものなのかを、ぼくたちは知っておくべきです。
勉強と礼儀を叩き込んで、余分なものは排除。
社会で生きていくのに必要なものだけ学んでればいい!
そんな風に育てられた子は、成長したとき必ず何らかの形で爆発します。
ありのままを認めてあげて、少しずつ学びが増えていくごとに、子供は自然なまま社会に溶け込んでいくものです。
それまでは急に押し付けられてくる価値観やルールから、
全力で子供を守って、代わりに頭を下げるのが親の役目ではないかとぼくは思います。
子育ては育成ゲームじゃありません。
思うようにいかないことだらけです。
でも、その時その時の子供の発想や、何気ないひと言を『かわいい』と愛せない人は、子供を育てるには向いていない。
根っこは、それなんじゃないでしょうか。
子供の心を褒めてあげること
コツとしては『行動よりも考え方を見る』こです。
そして、『可愛いなぁ』と感じてあげること。
宝石の原石に美しさを見るのと同じです。
子供は『原石』。そのあり方を美しいと感じるように努めてみてください。
例えば、あなたが朝の仕事にいく前に子供がのんびりご飯を食べていたら、
『今は食べることを練習して、一つ一つ手を動かして頑張ってるんだ、かわいいなぁ』
こう思えるかどうか、です。
まぁ、もちろん仕事に遅れちゃいけませんから、応援して早く食べさせてあげましょう(笑)
『早くしろよ! 仕事遅れるだろ!』
子供を養うために、稼がなくてはならないのもよく分かりますが、
肯定する。
この気持ちを失うくらいにまで、あなたが染まり切っていないことを願うばかりです。
今回はここまで。
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