あなたは自分が、
周囲から期待される役割を演じていると感じることはありますか?
社会人はこういうもの。大人になったらこれが普通。
でも、それは単に『みんながそうしてる』というだけの理由。
そんな周囲の目に、疲れてはいませんか?
そうやって個性を押し殺しているあなたに、ぼくはぜひ殺陣に触れて欲しいと思っています。
なぜなら、殺陣は周りに合わせるといった常識を超えて、
殺陣には正解が存在しないから自由
『こうすべき』『これが絶対』という決まりは、殺陣にはありません。
あるとしたら、ただ一つ。
相手にケガをさせない。自分もケガをしない。
これだけです。
実際に日本刀を扱ったり、着物を着て動く習い事には『守るべき作法』があります。
ですが、殺陣ではそれを守っている人の方が珍しいです。
その点からみても、殺陣はカッチリとした習い事や芸事に比べて自由度が高く、その人の個性を肯定するツールと言えるでしょう。
同じ動きでも、
あなたの構え方、斬り方、距離の取り方、表情。
あなたが思うように動けばいいのです。
ただし自由には『責任』が伴う
自由というと、何をしてもいいと言えます。
『自由』というのと『身勝手』というのは別のものです。
身勝手とは、責任を取らないこと。
権利も責任もまとめて背負い込むのが『自由』の条件です。
あなたがどう振る舞おうと、それ自体はいい。
ただ、それが他者の自由を侵すことになってはいけない。
ある種の枠組みのようなものはありますが、その範囲内であれば何をしてもいい。
押し付けられず、また押し付けない
ぼくは自分の殺陣のスタンスとして、決めていることが一つあります。
他者のスタイルには一切口出ししない。ただし、ぼくのスタイルにも口を出すことは許さない。
他者が一つ動きを提案すれば、
それに『ぼくなりの方法で応える』ということです。
もちろん、シーンの流れや目的は外してはいけません。
例えば、
ぼくが相手役に斬られて倒れるという流れがあるなら、ぼくはキチンと斬られて倒れます。
ただし、
どう斬られてどう倒れるかは、ぼくのスタイルに従って決めさせてもらうということ。
シーンを成立させるという責任は果たします。
ただし、そのプロセスには干渉させません。
自由は『役割』の範囲内であるべき
仮に、相手役が『キミがこう倒れてくれないと、俺が目立たない』と言ってくるとしたら。
『きみはあくまでもプレイヤーであって、目立たせるかどうかを決めるのは演出する人の役割だ』
と、ぼくなら返すでしょう。
演出する人には、演出する人の『自由』があります。
そこに踏み込むことは、自由の範囲を超えて『身勝手』に振る舞う行為だからです。
キツい物言いかも知れませんが、
他者の自由に干渉しないというのが、お互いが縛られずに自由であることの条件だからです。
とはいえ、殺陣の『絶対』はケガをさせないことだけ、と言いましたね。
干渉しないというのも『絶対』とは言えません。
その相手役がプレイヤーと演出を兼任しているなら、前提は変わります。
その場合は、ぼくも最大限に歩み寄ります。
普段は出せない『あなたらしさ』を出せるのが殺陣の自由
みんながこうするから、自分も同じように振る舞わなきゃ。
こういった『同調圧力』に流されなくていいのが、殺陣の魅力です。
同じようにする方が安心するなら、それでもOK。
でも、もしあなたが他にやりたいことがあるというなら、少なくとも殺陣では提案してみれば良いのです。
『何考えてんの? 常識で考えなよ』
とは言われません。
だって、殺陣なんて今の令和の時代の中で、刀をぶん回すようなパフォーマンスですよ。
そもそもが非常識、非日常なんです。
そして、常識に疲れている人だからこそ、輝くことだってあるのが殺陣なんです。
ぼくたちは、常識やルールの中で生きています。
でも、非常識や非日常を生きている人を時に羨ましく思う気持ちもあるのではないでしょうか?
常識やルールに従うことに疲れを感じるあなたの感性は、非日常な場で大きく光り出すかも知れませんよ?
殺陣にはあなたの自信を高める要素がたくさんある
いかがてしたか?
この記事では『殺陣は自由』という内容をお話しました。
殺陣であなたの個性を光り輝かせ、あなたが自分に自信を持つことができるように、
これから殺陣のコンテンツを更新していきます。
是非、殺陣の世界に飛び込んでみてください。
まずは、『殺陣を始める不安や疑問』に答える記事をどんどんお伝えしていきます。
ぜひ、チェックしてみてください。
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